〔教会は聖霊の共同体〕
2015年10月15日(木)
人びとがあちこちで聖霊に結ばれて集まると、あちこちで「目に見えるキリスト教的共同体」が成立します。
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このようなし「諸形姿」を持つことが聖霊には取るに足らないことではないこと、それは教会の秘儀であります。それゆえに本当に多くの教会が存在するのではなく、一つの教会、常に、すべての他の教会の中の一つの教会として互いに自己認識をする、この「具体的な」教会が存在するのです。私たちは、一切のさまざまな教会を見渡すこのできる一つの塔の上に置かれているのではなく、まったく地面の上で定められた場所に立っています。そこに教会がある、一つの教会があります。常に己が具体的な教会の存在を信ずるなら、教会の一致、諸共同体の一致を信ずるのであります。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、550f。
私たちは使徒信条において「公同の教会を信ず」と告白します。行動とは「カトリケー」つまりカトリックということです。それはもちろんいわゆるローマ・カトリック教会を信じると告白しているのではありません。カトリックという言葉が公同という意味なのです。ですからローマ・カトリック教会はローマ公同教会と訳すといいのかもしれません。
私たちプロテスタント教会はこのローマ・カトリック教会からの分かれですので、ローマ・カトリック教会と同じように、使徒信条を告白しています。ですからそこで公同の教会といった場合、このローマ・カトリック教会を含んでいると理解すべきなのだと思います。
東方教会とは、ニケア・コンスタンティノポリス信条の中の、聖霊について告白が若干違うのですが、それは西側の問題であって、十分に歩み寄る可能性を持っていると思います。ですから公同という場合、この東方教会をも含む教会を考えることが大切ではないかと私は考えています。
いずれにせよ、自分たちの教会こそこの地上にあって一番正しい教会であるという傲慢から解放されなければなりません。ともに手を携えて一つの教会を信じること。それが真のプロテスタント教会であると言えるでしょう。
(祈り)
神さま、あなたのからだである公同の教会を信じます。