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奉仕する教会

〔教会はイエス・キリストの共同体〕

2015年10月13日(火)

教会共同体とは、祈りと信仰告白における交わり、洗礼と聖餐における交わり、福音的使命の共同の受け入れと共同の伝達であります。教会はいつもこの具体的な出来事の中に、その前提と結果に生きています。
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奉仕について語るべきで、役職について語ってはなりません!
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神に、教会全体は奉仕者が一環となって仕えます。これこれの教会員に、御言へのこれこれの奉仕に適性があるとの共通の確認 ― これが「教会での選挙」です。
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個々の奉仕を上位および下位にするなどは、この際全くお話にもなりません。そこには機能の相違はありますが、牧師が実際に他の長老たちの上に立つことも、鐘つき番が神学教授の下に立つことも本当にありえません! そこには「聖職者」も「平信徒」もありえません、ただ「教える」教会もただ「聴く」教会もありえません。なぜならその場その場ですべてではないような教会の構成員は、存在しないからです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、546ff。

教会に来て学ぶことは、自分が神さまに愛されているということです。
では自分が神さまに愛されているということをどのようにして知ることができるのでしょうか。

たとえば親に自分がどれだけ愛されているかを知ることは、確かに自分に向けられた愛を体験することによって知ることができると思います。しかしその愛の大きさは、自分が親になって自分の子どもを愛したときに実感するのではないでしょうか。

教会共同体では、奉仕をするということによって、自分が神さまにどれだけ愛されているかということを学ぶことができるのです。
一方的なサービスを受けるために教会に来る人がいます。その人は決して神さまの愛を知ることはできないでしょう。しかしもし人に仕えるということを始めるならば、神さまの愛を知り始めることができるでしょう。

そうしてなされる奉仕にはさまざまなものがありますが、しかしすべてキリストに仕えることであり、御言葉への奉仕なのです。

(祈り)
神さま、仕えることを学ばせてください。


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