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教会の革新

〔教会はイエス・キリストの共同体〕

2015年10月12日(月)

すでに死んだ共同体は主によってのみ死の只中から新しい生命へと目覚めさせられ、救われうるのです。

主が御言(ことば)をそう語られ、御言がキリスト者たちの間で再び主に相応しい応答を見出し、主が新たにその使徒たちの証しに責任を持つと公言なさり、主が証しの宣言と適用を強く、深く、時を得て、キリスト者自身のため、世のために激しく攻めんばかりに行われ、主が洗礼の盟約の主として行動され、私たちに授けたものを祝福するために、主が聖餐をもって私たちの客であらるように、これが、これこそが教会の希望なのです。

教会はキリスト者の良き意志や敬虔さや理想の上に確かな希望を置くことはできません。その一切は脅威に曝され、すでに堕ち崩れています。
・・・
イエス・キリストのみ教会の希望である、と表現される教会の形です。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、545f。

教会が教会であり続けるためには、イエスさまのみに希望を置く教会であるということが大切です。それ以外の人間的なことは一切必要ありません。
しかしこれがこの世にあってはなかなか難しいのです。
教会に人がたくさん集まるためにさまざまな行事、現代的なプログラムの集会、人びとの文化にあった音楽などなど、人間的なことにすぐに目が行ってしまうのです。また教会に集う人々からもそのようなことが要求されることが多いのです。

しかしイエスさまのみに希望を置く教会が、いつも新しい生命へと目覚めされられ、救われるのです。
具体的には、みことばの説教と正しい聖礼典です。それが常に教会のすべての中心となる、あるいは教会のさまざまな取り組みがそれに集中することが、教会がいのちに生き続ける大切な一つのことです。
誤解を恐れずさまざまな非難に甘んじ勇気をもって御言葉の説教と正しい聖礼典の執行に労し続けたいと思います。

(祈り)
神さま、真実に御言葉が語られ聖礼典が正しく執行されるために教会に仕える者とならせてください。


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