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喜びへの心構え

〔喜びへの自由〕

2015年10月5日(月)

喜びは通常「待つ喜び」です。
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それゆえに、喜びのため繰り返し「準備」しておくことが人に要求されています。
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喜びのない人間になるということは、不機嫌になって、人生そのものと自らの創造主である神に罪を犯すことの徴候に過ぎません。
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喜ぶとは、生命そのものが神の恵みの贈り物として明らかになり、生が活動と呼ぶもののさし当たっての実現をなしつつ、自らを表現し捧げたいと期待することであります。
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喜ぶとは、感謝をする機会がやってくるのを待ち設けることであります。
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現実の喜びは聖霊のようにやって来て存在します。
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喜びは、欲するがままに来て存在する、ですからそれがいつからきて、これからどこへ行くかは判りません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、534ff。

期待して待ち望む者となること。その待つ喜びに生きること。それは信仰生活の実です。

(祈り)
神さま、いつも待ち望む者とならせてください。


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