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すべての道の道 神から出て神へ

〔愛の賛歌 ― Ⅰコリント13章〕

2015年9月25日(金)

すべての道の中の道は、弁舌、預言、認識、殉教などすべての人間的可能性の中における「神の可能性」、これに違いありません。今こそ神の可能性自体がはっきり名を挙げて言われます。
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人は忍耐を持ちえませんが、愛はそれができます。人は慈愛が何であるか知りませんが、愛は知っています。人は(権利を持つため)熱中しますが、愛は「しません」。人は自慢しますが、愛は「しません」。人は威張りますが、愛は「しません」。人は道徳の制約を打ち破ることが許され、許されなければならないと思いますが、愛は「そうしません」。人は悪を当てにしますが、愛は「しません」。人は他者に不正が振りかかると喜ぶこともありえますが、愛は、真理が勝利するときだけ、喜びます。人は、今ここで、次にそこでと挫折し、そうなると少々絶望し、少し勇気を失い、ここで小さなことあるいは大きなことに屈しますが ― 愛は一切に耐え、完全に信じ、完全に希望し、完全に耐え忍びます。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、512f。

人間には聖書の語る愛は存在しないということです。
しかし神さまが完全な愛をお持ちであり、愛そのもののお方です。
人間と愛、そして人間と神さま。この全く相いれないものを一つにしてくださるのが
また愛です。神さまの愛です。
人間は愛をもっていませんが、この神さまの愛との出会いによって新しく愛に生きる者となるのです。

(祈り)
神さま、あなたの愛に生かしてください。


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