〔結婚と愛〕
2015年9月20日(日)
少なくとも掟に対して「過ちを犯し」、違反者、概念の厳しい聖書的意味で「姦淫を犯す者」であると掟に言われる人は、掟を守ります。
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イエス・キリストを尺度としてすべての人びとの行為ははかられています。
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その方は人を永遠から愛し、御子の十字架でまさに人の罪のために ― 男と女の関係における人の罪のためにも、 ― ご自身を捧げてくださったのです。その方は、人の罪を赦す、すなわち、罪そのものを自らに負い人から取り去ることで、人の罪を覆い、戒める方であります。
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神の裁きにおいて公然と公正に宣告された違反者として自らを知り、告白し、このような者として生きることが許される者は、神の掟を守るのであります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、503ff。
神さまの掟を守ろうとする者は、自らが神さまの前に罪人であることを知り告白し、そのような者として生きる者です。
誰かの罪をあげつらい指摘し糾弾する人は、結局自分が神さまの前に罪人であることを知らず告白せず、そのように生きていない人です。
あるいは自分が神さまの前に罪人であるという厳然なる現実から逃げている人かもしれません。
そのような人の人生が祝福されるはずがありません。
(祈り)
神さま、罪人である私を赦してください。