〔結婚と愛〕
2015年9月14日(月)
結婚の成立をその「内なる側」で考察すると、明らかになるのは、結婚は当事者二人の側で、従順において結ばれ生かされるためには、自由な、相互の愛を必要とします。結婚生活は、一人の男と一人の女の完全な限られた持続的な生活共同体に本質がある限り、愛以上であります。そして互いに向ける二人の愛ではなく、そうではなく神の招きと賜物が結婚の本来の基礎付けであります。ところでこの基礎付けには「人間的に」もことが運びます。
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双方の自由においてこの認識し合い、選び合い、愛し合うことは ― つまり神の掟に対する従順という双方の自由において! ― 双方の率直な、自然に生ずるがゆえにまた責任ある願望、熱望、意欲の形で生じるということ、これに人間性はかかっており、これにこの基礎付けの神聖さがかかっています。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、494f。
結婚に向かって二人が出会い、やがて結婚し、そうして始まった結婚生活を生活共同体として前進していくためには、愛が必要です。その愛は、人間的な愛だけではなく、神さまへの愛が必要です。神さまの愛が基礎となって成り立つのです。
しかしそれと同時に、二人が自立した人間として、お互いを自由な中で選ぶということが必要であり、それは責任ある願望、熱望、意欲の形で生じます。
(祈り)
神さま、あなたのみ心に生きさせてください。また責任ある願望、熱望、意欲を得させてください。