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自立した妻と善良な夫

〔男と女〕

2015年9月10日(木)

「成熟した妻」は、強い夫あるいは暴君のような夫と関わらなければならなくても、決して隷属する妻の役割につき落とされはしないでしょう。
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善意は、人が他者に心を用いる自由な動きですが、なぜなら人は他者を理解し、他者に責任があると知っているからです。
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善良な夫は―妻の賢さにより自らに必要な善良さへと教育されうる夫は、その時「強い夫」と一致すると申せます。
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妻は彼女のおるところで結局夫の後ろにいるのでもなく、夫の下に立つのでもなく、そうではなくて夫の側にいる秩序です。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、487f。

神さまは妻を夫のあばら骨で創造したと聖書は語ります。頭の骨でもなく、足の骨でもなくあばら骨であるということは、妻は夫の側にいる存在として造られたということでしょう。どちらかがどちらかを支配するのではなく、寄り添って二人で一つとなるためにに造られたのです。お互いに補い補われる存在として造られたのです。

夫の強さは、妻によって必要な善良さへと教育されうる夫であるとバルトは語ります。
そういう柔軟さ、謙遜さこそ、夫の強さです。

善意とは、他者に責任があることを知っていること、です。他者にあるはずの責任を、まるで自分の責任のようにしてしまうのは、まことの善意ではありません。善意は、常に自立を前提にしているということでしょう。

(祈り)
神さま、柔軟さと謙虚さという強さを与えてください。


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