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性的なるものの被造物性

〔性的生活〕

2015年9月1日(火)

性的生活に関する神の掟の声は、第一に、人がこの分野でも「主がおられないのではなく」、だがまた自らの創造主から「見捨てられていない」のであって、人はそこでもたとえばデーモンの世界に、何かの深淵あるいはジャングルの中にいるのではなく、自分の家に、御父の秩序の下にいる、ということを意味しています。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、471f。

神さまは人間を男性と女性に造って下さいました。それは、人間は二つの性が一つとなって存在することを、神さまのみこころをしてくださったということでしょう。二つの性が一つになることの喜びを、神さまは喜んでくださるのです。

性的生活というと、どちらかというと秘められたものであり、そこに罪性を感じるものですが、聖書は性的生活を人間として生きていくうえでの大切なこととして、私たちに語ります。

性的生活が大切なものとして取り扱われるために、そこにも神さまの御手を発見していることが必要です。お互いを「物」や「道具」のようにとらえ扱ってはいけません。大切な人格としてお互いをとらえます。大切な人格としてお互いをとらえるということは、お互いを神さまのように絶対化するのではなく、相対化すること。また神さまから与えられた自由の中に、神さまの恵みの中で、お互いを喜ぶことが大切にされなければなりません。

(祈り)
神さま、性的生活を人間に与えてくださったあなたの御名を賛美します。どうかあなたのみこころの秩序の中で人間の性的生活が守られますように。


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