本書を含むコーンの三部作は、歴史的コンテクストと社会的コンテクストを異にするとは言え、結局のところは同一の問題を追及したものである。すなわちそれは・・・堕落をもたらした張本人、あるいはまた、悪の権化として想像されたある種の人間たちを絶滅することによって、この世を浄化しようとする衝動の追求である。それはまさに「人間の内なる悪霊」であるが、私たちは、特に「我々は今でもこのような衝動を抱きつづけている」というコーン教授の指摘に注意を向けるべきだと思う。
(ノーマン・コーン、『魔女狩りの社会史』、「訳者あとがき」、山本通訳、岩波書店、1999年発行、360頁)
キリスト教会の歴史の中で、魔女狩りは大変残念な出来事です。それは人間の罪がキリストの名を利用して行なった恥ずべき歴史です。この罪は決して過去のものではなく今日もさまざまなところに見出すことのできるものであり、他人ごとではなく自分自身の中に巣くうものでもあります。
ワイドショーの視聴率の良さは、誰かの失敗を喜びとする人間の罪の現れでしょう。誰かが失敗したり、問題を起こしたりすると、途端にさまざまな悪口、中傷を投げかけるのです。さも自分が正義の味方であるかのように。そのいびつな正義感こそ魔女狩りを生んだ温床なのでしょう。まったく恥ずべきことです。