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語ることと聞くこと

〔同胞としての人間〕

2015年8月25日(火)

出会いの中にある存在の本質は、人びとが「互いに話し合い、相手の言うことを聞き合う」ことにあります。私とあなたは語らなければならない、私とあなたは聞かなければならない、しかもお互いに語り合い聞き合うのです。どちらの要素もここでは欠けてはなりません。それが「言語」の持つ人間的意味であります。
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まさにここで言葉が介入してこなければなりません。「口と耳」を人間的に使用することです。出会いとしての人間性は言葉の出来事にならなければなりません。そして言葉が包括的に意味するのは、互いに発言し合うことから相互の発言を相互に聞きとること、互いの語りかけから相互の語りかけを相互に聞きとることを言うのであります。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、459ff。

人間はいつも自分が語るということが好きです。語っていると楽だからかです。
逆に人の話を聞くということは嫌いです。聞くことには苦痛が伴うからです。

人の話を聞くということには、努力や力が、そして愛が必要です。
相手をそのままに「聞く」ということには知恵が必要です。
聞くことの苦手な人間は、すぐに反論したり、解釈したり、そうして相手の話すのにストップをかけたくなるのです。
そういう誘惑から守られてひたすら傾聴することには、訓練も必要となるでしょう。

しかしカウンセラーとしてならばともかく、人間として出会うということは、互いに語り互いに聞くということ、その両方が必要なのです。
そうして出会いが、真実の出会いとなるのです。

(祈り)
神さま、口と耳を使用して今日も出会いを得させてください。


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