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出会いにおける存在

〔同胞としての人間〕

2015年8月23日(日)

「出会いにおける存在」、これは一人の人が他者の「目」の中を見つめる、そういう存在であります。
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一方が他者の目の中を実際に見るなら、そのとき自動的に彼は相手から自分の目の中を見られているということも生じます。
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私が自らを彼に見てもらわないなら、その時には私もきっと彼を見ていないのです。
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見る者が自分を隠し、彼が見ている他ならぬ同胞から自らも見られることを拒むなら、一切の見ることは非人間的でしょう。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、457f。

自分を隠して人を見ることの横行する時代を迎えています。非人間的な「見る」ということが横行している時代です。

見られるという勇気をいただき、見るということに生きる、そこに愛が生まれます。

(祈り)
神さま、兄弟姉妹と共に生きる道に送り出してください。


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