〔同胞としての人間〕
2015年8月22日(土)
人は自分のためにいるのではなく、他の人と一緒にいることで、孤独でいるのではなく、二人でいることで、具体的に人間的であり、人間存在の特徴を帯びており、神との契約を結んだ者である定めに応えており、そのために人間イエスがおられる存在であり、従って実際の人間であります。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、455f。
人はひとりでいるのではなく、二人でいることで人間となります。
二人でいるということは、そこに「わたしはある」という独りであることに終わりを告げます。自分自身の中に崩れ落ち込んでしまうことにストップがかけられます。自分自身の中に崩れ落ち込んでしまうことにストップがかけられてはじめて人は人間となります。
たとえ二人でいたとしても、あるいは二人でいようとしたとしても、自分自身の中に崩れ落ち込んでしまうことにストップをかけない、すなわち相変わらず自分に終始しているとすれば、それは人間になっていないこととなります。
(祈り)
神さま、自分自身の中に崩れ落ち込んでしまうことにストップをかけていただけるような出会いに生きることが出来るように助けてください。