旅に伴ってくださった神さま

8月3日(月)から13日(木)まで、南米・エクアドルを旅しました。夫婦で出かける海外旅行は今回が初めてとなります。この旅の主な目的は、青年海外協力隊員として現地の特別支援学校に働く娘を訪ね、職場やホームステイ先にご挨拶をすることでしたが、旅に伴ってくださった主イエスさまはさまざまな恵みを与えてくださいました。

旅の間、妻と長女と三人で毎朝聖書を開き祈って一日を出発してましたが、その中で読んだ一つの箇所が大変印象的で、旅の大きな恵みの一つとなりました。その個所とは列王記・上の8章10~11節です。

新改訳聖書では以下の言葉となります。

「祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」

旅に携行した聖書は新共同訳でしたので、以下の言葉でした。

「祭司たちが聖所から出ると、雲が主の神殿に満ちた。その雲のために祭司たちは奉仕を続けることができなかった。主の栄光が主の神殿に満ちたからである。」

 

心に留まったのは、以下の点です。

  • 神さまの栄光は、祭司たちが聖所にいる時に満ちたのではなく、聖所から出た時に満ちたということ。
  • 神さまの栄光が満たされると、祭司たちは奉仕を続けることができなくなったということ。

人間が聖所にいる限りいつまでたっても神さまの栄光が満たされませんでしたが、ひとたびそこから出て行くときに神さまの栄光は満ち溢れました。私が神さまのために何かをしなければならないと思っているうちは、神さまの栄光は満ちないのですが、すべてを神さまにお委ねして、神さまに場所を明け渡すときに、神さまの栄光が満ちるのです。

神さまの栄光が本当に満ちるならば、人間はもはや奉仕をすることができません。人間が奉仕をすることができてしまっているときは、いまだ神さまの栄光は満ちていないのです。

旅に出かけるに際し、日曜日の集会や準備を始め、週日の集会などについてもいろいろと段取りをしましたが、それらをすべて伝道師の先生や神学生にゆだねて出発することになりました。気がかりなのは旅に出かけている間に、葬儀などの不測の事態を迎えた場合どうするかということでした。結局それも委ねるしかなかったのですが、それがきっと一番良いことだったのでしょう。

祭司が聖所を出るときに神さまの栄光は満ち溢れ、人間の奉仕はすべてストップし、ただ神さまのご栄光が輝いているのです。

045

上記の写真は「赤道記念碑」。エクアドルは赤道直下の国です。高度が高い(2,500メートル以上)ので年間を通して快適に気温です。「エクアドル」はスペイン語で赤道を表わす言葉だそうです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: