〔証人としてのキリスト者〕
2015年8月15日(土)
証しは神によって「強い力が与えられた」人間の言葉です。
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証しはこの力は聖書によれば、当の人間の特性にはなく、その謙虚さにもなく、その行いにもなく、殉教者という後世の概念が示しているようなその苦悩などにもなく、そうではなくて全く神の人間との歩みにおいて、この特別な人間たち、弟子、使徒、預言者を神の事柄の証人に選ばれたのは神である、という点にのみあります。
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証しのこの力強い言葉が語られ聞かれるところ、そこに教会があります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、445f。
証しは力強い言葉です。それが語られるところに教会が生まれます。
この証しの力強さは、要石であるイエスさまご自身にあります。
人間の特性、敬虔さ、行い、殉教による苦悩、などにあるのではありません。
ただ全く神さまの人間との歩みにおいて、また神さまの一方的な愛の選びにおいてのみあります。そこにのみ証しの力強さがあります。
(祈り)
神さま、あなたの選びと、あなたのご臨在に感謝します。