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責任と平等

〔教会共同体と市民共同体〕

2015年8月2日(日)

キリスト教会は、この教会の頭(かしら)である主の肢体の構成員として、まさにそれで互いに「結ばれ、義務付けられて」いる人びとの共同体であります。
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一人の主のもとで一つの洗礼に基づき一つの霊に、一つの信仰に生きる人びとの共同体として、キリスト教会は政治的領域においてさまざまな必要、能力、使命の相違を極めて冷静に見て、成人と見なされるすべての市民の自由と責任の「平等」のために、すなわち、彼らすべてを結びつけ義務付ける法律の前で彼らの平等のために、法律の成立と実行に協力する彼らの平等のために、この法律により保証される制限と維持における彼らの平等のために、尽力しなければならないし、尽力するでしょう。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、424f。

教会はこの世にあって世の光としての責任を神さまからいただいています。
またその責任を果たすための力をいただいています。
教会はすべての人がその自由と責任において平等であるように尽力します。
自由が平等に与えられているのですが、実際に平等となっているか、平等に自由が与えられているかを大切に考え、そのために尽力します。
また責任が平等に与えられているのですが、実際に平等となっているか、平等に責任が与えられているかを大切に考え、そのために尽力します。

(祈り)
神さま、この世にあって与えられている責任を果たすことができますように。


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