〔教会共同体と市民共同体〕
2015年7月28日(火)
教会は神に仕え、まさにそれゆえ、そうすることで人びとに仕えるのです。
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キリスト教会の政治的目標は、国家を次第に教会風にする、つまり国家をできる限り教会自身の使命の奉仕につかせることではありえません。
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「世間的意思」と「世間的要求」を携えて自分のための闘士として政治舞台に入って行ったのは、国家の特別な意味を誤認している教会、しかも常に贖罪の意思のない教会、宗教的に開放されていない教会だけでした。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、417f。
教会は神さまに仕えます。そうすることによって人びとに仕えます。
教会は世の光であり地の塩です。塩は食物の腐敗を防ぎ味付けをします。腐敗を防ぎ味付けをするからと言って、塩が自己主張するとその食物はもはや食物としての存在意義をなくします。つまり塩からすぎて食べられなくなってしまいます。
塩はそれ自体溶け込んで消えていきます。塩の存在は食物の存在を清潔で豊かにするために溶け込んで消えていくのです。しかし全く存在しなくなったのではありません。清潔で豊かな食品として存在しているのです。
教会やキリスト者はこの世にあってそのような存在なのでしょう。
(祈り)
神さま、地の塩としての存在を確かにさせてください。