〔教会共同体と市民共同体〕
2015年7月27日(月)
キリスト教会は、市民共同体である国家に対し連帯責任を負うことで、さまざまな政治的形態と現実に対して、必然的に教会に固有の理論を主張してはなりません。
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教会は、神の国を宣教することで、一切の政治的構想に対して自らの希望を、だがまた問題を主張しなければなりません。
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教会はすでに実現したすべての政治的実現を目の当たりにして、すべてのなお実現さるべき政治的実現を目の当たりにしつつ、「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都」(ヘブライ11章10節)を待望しています。
教会は確信し、聴き従います―政治的形態にでもなく政治的実現にでもなく―むしろ神の言の力に従います。御言によって神は万物を(ヘブライ1章3節、バルメンのテーゼ5)、また政治的な事柄をも支えておられるのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、415f。
教会は、政治に対して、また国家に対して連帯責任を負うのですが、かといって固有の理論を主張してはならないといいます。希望と問題を主張しなければならないといいます。それは神さまがすべてをご支配され支えておられることを信じているからです。
神さまはみことばをもってすべてを支えておられるのです。
(祈り)
神さま、いつもあなたのご支配を信じる者とならせてください。