〔教会共同体と市民共同体〕
2015年7月24日(金)
他ならぬキリスト教会は、国家(市民共同体)という特別な存在が必要なことをわきまえています。つまり教会は、すべての人びと(非キリスト者とキリスト者!)は「王」を持つこと、すなわち、優れた権威と権力により保たれる外面的、相関的、暫定的な法秩序のもとに立つことが必要だということをわきまえています。
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教会は人間が罪人であると知っています。すなわち、人間は阻止されないなら、混沌と虚無が、人の時に終止符を打つに違いない堰を開けようと、絶えず構えている存在なのだと、熟知しています。
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教会は、政治的秩序なしにはキリスト教の秩序も存在しないことをわきまえています。教会は―より広い国家なるものの中にある内部領域として―国家の保護の中で存在が許されていることを知っており、そのことを神に感謝しています。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、410f。
「マルティン・ルターは、次のように言っている。すなわち、国家の厳しい秩序づける手段なしで人間を共に生活させようとする人は、「羊飼が一つの小屋に、狼と獅子と鷲と羊を集めて、それらを互いに自由に放置しておいて、『さあ楽しむがいい。お互いに優しく平和でいなさい』と言うようなものだ。」(リュティ)
いかに不十分な国家であったとしてもそれがなければ、混沌と虚無があるだけです。人間は罪人なのです。
教会も政治的秩序がなければキリスト教会の秩序も存在しないことをわきまえ知っているのです。このことがわきまえ知られていない新興宗教の中にはカルト化してしまうもの、テロ集団のようになってしまうものがあります。教会はそのようであってはなりません。教会は為政者たちのために祈る共同体です。
(祈り)
神さま、祖国と世界がともに平和でありますように。