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市民共同体の中の教会共同体

〔教会共同体と市民共同体〕

2015年7月22日(水)

宗教が持ち、だがまた重荷を負わされ、不恰好な傷を負わされているものは、キリスト教会が本質的にはなくて済むものなのです。すなわち肉体的力、「世の権力」であります。
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世の権力に欠けているものは、キリスト教会に本質的なもの、すなわち、普遍的広さと自由です。
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神の言と霊はキリスト教会では、市民共同体におけると同様に人の意のままにならない重要なものです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、407f。

教会は、肉体的力、世の権力といったものを持たなくてもよいところです。そのかわりに、あるいはそうだからこそ、教会は、普遍的広さと自由をもっています。
しかしそれは神の言と霊によってそのようにされているところですから、神の言と霊が失われてしまうならば、教会もこの世と同じとなってしまいます。
神の言と霊は重要であると同時に人間の意のままにはなりません。
私たちは常に神さまの言葉と霊が注がれるようにと祈りましょう。

(祈り)
神さま、御言葉と霊を注いでください。


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