〔人間とは何か〕
2015年7月15日(水)
イエスは、永遠の神性でありながら自らこのような人間という被造物となった、神であります。まさにこれが罪ある人への神の態度であります。
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この人への神の言の中で、神の恵みは第一のもの、人の罪は第二のもの、そしてこの第一のものはこの第二のものより強力だ、という決定がくだります。
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罪人であって本当ならば敵である他の人びとをもお呼びになり、彼らとも交わりを保とうとなさるならば、それは、神が彼らの罪を彼らの罪としてではなく、この人の罪と見なし、扱われるからです。
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「この人は人間である」―第一に本当に全くこの方お一人のみ。知らずしてピラトはこの方の神秘を茨の冠で明かしています。「Ecce homo! 見よ、この男だ!」(ヨハネ19章5節)カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、396f。
私たちが、私やこの世間の人間を指していだく人間像は、本来神さまがお造りになられた人間の姿とは違っています。壊れています。
ですから、イエスさまはまことの人間である、という場合、その人間こそ本来神さまが造って下さった人間を現わしています。
イエスさまは、まことの神さまであると同時にまことの人、人間なのです。
だからこそ、私たちはこのお方において救いの道をいただいています。
(祈り)
神さま、罪人である者とともにいてくださる恵みに感謝します。