,

多くの神々と多くの主たち?

〔神の神性〕

2015年6月29日(月)

彼らは「いわゆる神々」であり、唯一なる方を認識するとは、このようなものである彼らの正体の仮面をはぐことであります。「いわゆる神」は、それに対置されているのが「唯一の神」の命題ですが、何よりも「人間自身」です。
・・・
「『いわゆる』神々」とは、それらに「唯一の神」という命題が対置されていますが、人間のイデオロギーと神話、哲学と宗教などすべてのものの神々と神性でもあります。
・・・
唯一なる方の認識は、これらすべてのシステムの「相対化」を意味しています。私たちがこの唯一なる神を認識するということは、つまり、これらのシステムの原理と対象が実際は、まったくのあるいはまさに「いわゆる」神々に過ぎないということです。
・・・
それらの支配の終わりは確実に見えてきました。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、371f。

偶像とは自分自身であり、また人間自身であり、人間のイデオロギーなどである、とバルトは言います。それらは結局のところ、自分を神とし、主としているのです。
そうでれば、それらは当面は良いもののように見えますが、いずれは終わるものです。

私たちは神さま以外のものには限界があることをわきまえ知って、ただ唯一の神さまを主と仰ぐ者でありたいと思います。

(祈り)
神さま、自分自身を神とすることを終わらせてください。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: