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全体主義を支配する神

〔ドイツ民主共和国〔旧東ドイツ〕のある牧師への書簡から〕

2015年6月21日(日)

お国の「法律上の全体主義も支配する神」! あなたは全体主義を恐れますか。それを恐れてはなりません! それが全体主義的だというのではなく、それが法律的に、ゆえに反神的で非人間的に全体主義的だということが、あの体制の限界なのです、その限界で体制の代表者はいずれ停止し、あるいは挫折するでしょう。
・・・
恵みは要求するのではなく、贈ります。報いるのではなく、許します。押さえつけるのではなく、立ち上がらせます。怒りを引き起こして殺すのではなく、救済し、結びつけ、あの慈悲深いサマリア人のように世話をします。法律の下では、東西で絶えず起こるように、善いことも最善のことすらも、悪いことに向かわないわけにはいかず、向かうでしょう―恵みの下では悪いことも善いことに、最善のことに向かいうるのです。

神の自由な恵みを信じていらっしゃいますか。当然信じておられるでしょう。でもその時、お国で支配している体制が(同様に私たちの体制も!)まさしくその合法性にこそある決定的な無力の中にいるのを、見抜かなくてはなりません。
・・・
御言と聖霊にのみ頼ることを、教会は悔いてはなりません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、358f。

反神的で非人間的なところに限界があるのです。
逆に、恵みの下では、悪いことも善いこと、最善の事に向かわせる可能性があります。
私たちはどちらに生きているのでしょうか。
神さまの自由な恵みを信じて生きています。
ひたすら、御言葉と聖霊にのみ御頼りする道を歩みましょう。

(祈り)
神さま、聖書の御言葉とご聖霊さまのみに御頼りする道を歩ませてください。


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