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神の選びはその拒否を超えている

〔神の恵みの選び〕

2015年6月11日(木)

選びと拒否の間の均衡は、たとえ私たちが自らの拒否認識をイエス・キリストに探し求めても、壊れてしまっています。ここには均衡はありません、ここには最高の「不均衡」があります。
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二重の予定に関して、すなわち神の「自由な選び」と拒否に関して、ローマ9-11章は語っていますが、「人びとの予定されていること」に関しては語って「いません」。これらの章は人間たちについて、すなわち、イスラエルと異邦人について、神は変らぬ正義と慈悲において、あるいは恵みの光を、あるいは裁きの影を双方の上に決定されたし、決定しているし、決定するであろうと述べています。
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予定された人間の双方向の範疇についてではなく、前もって定められる神について語らなければならないでしょう。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、340ff。

予定説は、いわゆる運命論ではありません。
神さまの愛が、一方的で、ゆるぎないものである、ということを語ろうとしているのです。
今日も、神さまの愛は変わることなく、罪人でしかない私たちの上に注がれていることを感謝します。

(祈り)
神さま、あなたの愛を感謝します。


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