一方、本書は正教徒向けの信心書でも、正教のプロパガンダでもなく、単なる教養書として読まれることを想定して書かれている。したがって、高橋のような正教徒の著者から相手にされないことははじめから承知の上で、徹頭徹尾「頭」の説明に終始した。とはいうものの、本書第七章「フィリオクェの問題性」に関する限り、「頭」よりも「腹」の底からこみあげてくる一言では言い表せない複雑な情の塊がワープロのキーをたたく私の指をせき立てた。この部分だけは、カトリックをはじめ、西方教会に属する信徒にぜひとも真剣に読んでほしい。そして、この問題をエキュメニズムの協議の場で採りあげてほしい。
久松英二、『ギリシア正教 東方の智』、講談社、2012年2月10日発行、256ページf
この時代に生きることができるのは、なんと素晴らしいことでしょうか。さまざまな垣根を乗り越えて、キリストのからだとして一つになりたいと思います。