まがい物の神という苦しみ

まがい物の神である以上、神のふりをしたくなる。どうしようもなくそうしたくなる。私だって、数え切れないほどやってきた。それはもう業みたいなものなんだ

宮部みゆき、『蒲生邸事件』、毎日新聞社、1996年10月10日発行、387ページ

「まがい物の神」とここで言われているのは、タイプトリップ(タイムワープ)のことです。これは、過去、現在、未来と時間を旅することのできる能力を持った登場人物の語る言葉です。現代に起こる問題を解決しようと過去に行って軌道修正をしても、歴史は圧倒的な力でそれをただし、細かい部分は変更できるけれども、結局をは同じことになってしまう、ということを嘆いた言葉です。

まがい物の神は、結局、完全な調和の中に無から有を生み出すことができないのです。しかしそれでもそこに魅力があり、その魅力を知った者は、まがい物の神を利用して神のふりをしたくなる、それは業みたいなものだといいます。

真実な神さまに出会うということは、このまがい物の神から自由になるということです。


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