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忘れるのではなく、克服すること

〔私の時はみ手の中にあります〕

2014年12月30日(火)

「この方のなさったことは、何もかもすばらしかった。」(マルコ7:37)

「この方のなさったことは、何もかもすばらしかった」とわれわれはこの年の終わりに、過ぎ去ったあらゆる「時」について語ろう。
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われわれにとって困難であった日々、われわれを苦しめ、不安にした日々、また、われわれの中に苦しみの痕跡を残した日々は、われわれが今日、感謝しつつ、謙虚に、「この方がなさったことは、何もかもすばらしかった」と告白するようになるまで、過ぎ去らせてはならない。われわれはそれらの日々を、忘れるべきではなく、克服すべきなのである。このことは、感謝によって起こる。われわれは過ぎ去った日々の理解することのできない謎を解こうとして、苦しい思いわずらいの中に入り込むべきではなく、われわれに理解できないことはそのままにして、安心して、神の手にゆだねるべきなのである。このことは神の前で謙遜になって、「この方のなさったことは、何もかもすばらしかった」と告白することによって、可能になるであろう。
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「この方のなさったことは、何もかもすばらしかった」ということは、<われわれのしたことは、何もかもすばらしかった>ということとは、全く正反対のことなのである。
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この方は、最後に、私のあらゆる罪を覆うのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、640ff。

感謝によって、謙虚に、神さまのみわざを確認したいと思います。
私のなしたことは、取るに足りなく、時に不必要で、あるいはまったく困ったことだったかもしれませんが、十字架と復活によって救いの道を開いて下さった主イエスさまが共にいてくださいます。

(祈り)
神さま、あなたのなさったことは、何もかもすばらしかったです。


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