〔私の時はみ手の中にあります〕
2014年12月29日(月)
「神よ、わたしが年老いて白髪になるにしても、あなたの力を来るべきすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。」(詩篇71:18)
今日の聖書の箇所は、われわれが年老いていくことについて語っている。われわれが、おそらく、また、長い将来を生きるであろうということ、また最後の審判の日は明日も明後日も来ないであろうということを、この際、よく見極めておくことが大切である。・・・
おそらくわれわれは、教会の戦いの時の中に日々を送り、年老いて、白髪となるであろう。そして新しい世代が新しい重荷を担うことになるであろう。しかしそうだからこそ、われわれは、千年も一日のように見なす神(第2ペテロ3:8)に向かって、自分を神の力を宣べ伝える者としてとどまらせてくれるようにと、神の恵みを願い求めるのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、639f。
再臨の時は次の瞬間にやって来ることを信じつつ、千年先であるということもまた私たちは見極めておかなければならないということでしょう。
いずれにせよ、自分を神さまのお力を宣べ伝える者としてとどまらせてくださるようにと、神さまの恵みを願い求めなければなりません。
どのような仕事であっても、どのような立場であっても、私たちは神さまのお力を宣べ伝える者としてとどまらせていただかなければなりません。
そのために必要なことは、神さまの恵みです。
(祈り)
神さま、あなたのお力を宣べ伝える者としてとどまらせてください。たとえどのような形であったとしても。