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マリヤと共に神を崇める

〔私の魂は主をあがめる〕

2014年12月20日(土)

マリヤを「さいわい」とみなすということは、マリヤのために祭壇を作ることではなく、マリヤと共に、「大きな事をしてくれた」神、「そのみ名がきよい」神を崇めるということである。
マリヤを「さいわい」とみなすということは、マリヤと共に、「神のあわれみが、代々限りなく、主をかしこみ恐れる者に及ぶ」ということを知ることである。
マリヤを「さいわい」とみなすとういことは、マリヤと共に、神、すなわち自分の霊を、自分の望むままに与えることのできる方の道を驚きを持って見つめ、かつそれについて熟考することである。そして神に従順になり、マリヤと共に、謙虚に、「お言葉どおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と語ることなのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、623f。

神さまは、卑しい女であるマリヤを、ご自身のご計画のために選び用いられるお方です。神さまは、この世の偉大な者、上に立つ者のところに来てくださるのではなく、この世の小さな者、下に立つ者のところに来てくださるお方です。神さまは、小さいものを大きくするお方です。
この奇跡をしてくださる神さまこそ、まことの神さまです。
このような奇跡を語るところこそ、まことの教会です。
このような奇跡に生きる者こそ、まことのキリスト者です。

(祈り)
神さま、小さな者を大きくする神さまの恵みに生きる者としてください。


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