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他のどこにもない愛のこもった目

〔私の魂は主をあがめる〕

2014年12月19日(金)

神が卑しい者を愛するということは、あらゆる奇跡の中の、最大の奇跡である。
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マリヤとは、無名で卑しいということにおいてのみ神から注目され、救い主の母となるようにと選ばれた者である。
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人々が「失われた」と言うところで、神は「見い出した」と言い、人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。人々がなげやりな気持ちや、高慢から、目をそらせるようなところで、神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、622f。

無名で卑しいということが、マリヤの選ばれる条件でした。それ以外のものは何もありません。人間はマリヤの選びの中にそれ以外のものを見いだそうとします。そこに人間の罪があります。
無名で卑しい、人間的に見て何ひとつ選ばれる理由のないところに神さまの選びの奇跡があるのです。神さまの愛の奇跡があるのです。

ただ人間はこの無名で卑しいということに立つことができません。それこそ最大の罪です。含めて多くの宗教家はこの点で大きな罪を犯しているのかもしれません。

(祈り)
神さま、あなたの一方的な愛を感謝します。どうか貧しい者の幸いを教えてください。


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