〔主の道を備えよ〕
2014年12月16日(火)
神の律法の力を自分にあてはめてみる時にのみ、恵みについても語ることが許される。自分の敵に対する神の怒りや報復が依然として力を奮っている時にのみ、われわれの心は許しと、敵を愛する愛に触れることができるのである。
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僕たちは究極以前のものの中に生きて、究極のものを信じているのではないであろうか。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、618f。
罪と滅びの恐ろしさを知れば知るほど、ゆるしと永遠のいのちの尊さを思い、感謝があふれてきます。罪と滅びの恐ろしさが希薄になっているところでの、ゆるしと永遠のいのち、は聖書的ではないのです。
(祈り)
神さま、罪と滅びの恐ろしさを学ばせてください。そうしてゆるしと永遠のいのちの尊さを教えてください。