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急進主義と妥協主義の拒絶

〔主の道を備えよ〕

2014年12月15日(月)

急進主義は、みずからそのことを意識しているかどうかはともかくとして、実際にこの世に存在するものに対する憎悪から生まれる。
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「すべてを信じ、すべてを耐え、すべてを望む愛」、あるいは、まさに「悪が力を振っている世界を愛する神の愛」(ヨハネ3:16)に代わって、パリサイ人のような悪人に対する愛の拒絶が場所を占めるようになる。
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これに対して妥協主義は、常に「究極のこと」に対する憎悪から生まれる。
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キリストからキリスト者たちに贈られたはずのこの世からの自由と、この世にあるものへの拒絶(第1ヨハネ2:15~17)は、<不自然なこと、創造に反すること、あるいはこの世と人間に対してよそよそしく振舞う態度、ないしはこの世と人間に敵対しようとする態度>として退けられる。
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急進主義は、時間を憎み、妥協主義は、永遠を憎む。急進主義は、耐え忍ぶことを嫌い、妥協主義は、決断することを嫌う。急進主義は、賢さを嫌い、妥協主義は、単純さを嫌う。急進主義は、中庸を嫌い、妥協主義は、計ることのできないものを嫌う。急進主義は、現実にあるものを嫌い、妥協主義は、究極の言葉を嫌う。
このような対立から明らかになることは、この両者の態度が、いずれも同じ程度にキリストに反するものであるということである。ここで互いに対立し合っている事柄は、イエス・キリストにとっては、同じひとつの間違ったことなのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、616f。

まことの愛には、忍耐と清さがあります。

(祈り)
神さま、あなたのみこころを行なわせてください。


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