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究極以前の事柄を軽視してはならない

〔主の道を備えよ〕

2014年12月14日(日)

キリストへの信仰を持って生きるということは、「究極のこと」が私のうちで始まるということであり、イエス・キリストが私のうちで生きるということである。しかしそれは、常に、「究極のこと」を待ち望みつつ、「究極以前の事柄」と関わりを持ちながら生きるということでもある。
・・・
もし、さまざまな所で、意識して「究極以前の事柄」に関わるなら、神が一番よいと考える時に、神みずからが語ろうとする「究極のこと」を真に指し示すことになるのではないであろうか。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、614ff。

「究極のこと」、それはイエスさまが私のうちで生きるということである、といいます。それは救いの時であり、解放の時です。その時が大切な時です。
しかしその大切な時に向かう時間もまた大切であるということでしょう。
大切な時に向かう時間、すなわち「究極以前の事柄」に関わること、意識して関わること、そのように丁寧に究極以前の事柄に関わっているならば、神さまが一番よい時に、究極のことをもたらして下さるのです。

(祈り)
神さま、きょうを大切に生きることができるように守ってください。


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