〔あなたのもとに王はいないのか〕
2014年12月9日(火)
あらゆる試みや努力を続けても、交わりや、十字架や、新しい生命や、確かさの大いなる喜びを見いだすことのできない人々に対しては、<兄弟の前で罪を告白することによって、神からの助けが授与されるのだ>ということを、はっきりと示すべきである。罪の告白は、キリスト者の自由の領域の事柄である。しかし、神が人間に必要であると考えた上で与えてくれる助けを誰が拒絶し、わざわざ不利益をこうむるようなことを誰がするのであろうか。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、605f。
罪を告白するかしないかということは、それぞれに与えられた自由です。
しかし確かなことは、罪の告白をすることによって、信仰の祝福の道が、そして人生の祝福の道が、開かれていくということです。
せっかく神さまが与えてくださった祝福への道の具体的な方法を、しない、という道理はありません。
(祈り)
神さま、悔い改めに生きることができるように、罪を告白することができるように助けてください。