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最後の砦が放棄される

〔あなたのもとに王はいないのか〕

2014年12月5日(金)

罪は、暗闇の中に置かれたままで告白されない以上、人間の全存在をだめにする。
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罪の告白において、福音の光が人間の閉ざされた心の闇の中にさしこんでくる。
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言い表わされ、告白された罪は、すべての力を失う。
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隠された罪は、キリスト者を交わりから引き離し、あらゆる交わりを見せかけだけの不真実なものとする。告白された罪は、イエス・キリストにある兄弟との真の交わりを、キリスト者に見いだすことができるようにさせる。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、600f。

真実な罪の告白によって、罪のそれまでの破壊的な力はすべて取り除かれます。そればかりが、真実な罪の告白によって、交わりが回復され、真実な共同体が形成されます。
こうして「自己義認」の最後の砦が、放棄されるとボンヘッファーは語ります。
神さまの前に罪人である私。その告白が、神さまの平和を築き、兄弟姉妹との間の平和を築くのです。

(祈り)
神さま、あなたの前に、また兄弟姉妹のまでに私は罪人でした。どうかこのような罪人の私をあわれんでください。


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