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日ごとに死ぬことによって「死」の準備をする

〔キリスト―われわれの生〕

2014年11月30日(日)

われわれはこの死を、日ごとに、イエス・キリストにおいて死ぬか、あるいは、この死を身に任せることを拒むかのいずれかしかない。このわれわれの内の死は、キリストへの愛、あるいは人々への愛と何らかの関係をもっている。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、591f。

死に向かう私たちの前には、二つの道が常に用意されています。
イエスさまにあって死ぬか。それとも拒むか。
イエスさまにあって死ぬ道は、イエスさまへの愛、隣人への愛と深く関係しています。
この道にこそ人生の充実があります。

もちろん実際にいのちを立つ道を選ぶというのではありません。
ここで死ぬということは、自分の願望ではなく、神さまの御心求めていくということです。

(祈り)
神さま、あなたの御心を第一にすることができますように。


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