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見かけだけで生きていくことはできない

〔キリストの裁きの座の前で〕

2014年11月22日(土)

「彼らの結ぶ実によって、その正体を見分けるべきである。」
(マタイ7章16~20節から)

悪い木は、時と共に必ず自分の正体を暴露するのである。われわれは、誰もその心の中まで見通す必要がない。木がその実を結ぶまで、待てばよいのである。
・・・
ここで考えられていることは、にせ預言者の「言葉」と「わざ」の間の相違ではなく、「見かけ」と「真実」の間の相違である。イエスがわれわれに言うことは、人間というものは、いつまでも、見かけだけで生きていくことはできないということである。やがて実を結ぶ時がくる。
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弟子たちは、このことによって、イエスとのより固い交わりへ、より忠実な服従へと招かれている。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、574f。

誰しも隣人の心の中を見極めることはできません。それは神さまがなされることです。私たちは、ただ神さまにゆだねておけばよいのです。
人間は見かけだけで生きていくことはできません。いつかは必ず正体が暴露されるのです。私たちは、ただ神さまにゆだねておけばよいのです。

私たち自身はどうでしょうか。私の正体が暴露される時が来るというのです。そうであれば、言葉や行いの問題ではなく、つまりそういう表層の問題ではなく、心の中にあるものがいったいなんであるのかを、いつもイエスさまの前に吟味していただかなければならない、ということでしょう。

そうしてイエスさまとのより深い交わりの中に招かれています。

(祈り)
神さま、あなたとの深い交わりの中に招かれていることを感謝します。


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