〔キリストの裁きの座の前で〕
2014年11月21日(金)
「にせ預言者を警戒せよ。」
(マタイ7章15~20節)彼はわれわれの間にいる。彼は、イエス・キリストに対する信仰のゆえにわれわれの間にいるのではない。彼がわれわれの間にいるのは、悪魔が彼をキリストの共同体の中へと駆り立てるからである。彼はおそらく自分の思想と預言によって、権力や影響力や金銭や名誉を求めるであろう。すなわち彼は、この世を求めはするが、主であるキリストを求めることは決してしない。
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ところで彼は、おそらく自分自身でも、自分が何をしているのかということのすべてを知ってはいないであろう。彼を駆り立てる悪魔が、自分自身に対する洞察の目を曇らせるからである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、572f。
にせものの預言者が私たちの間にいる、とイエスさまはいわれました。
にせものは、この世を求めるけれども、イエスさまを求めることをしない、といわれました。
そしてにせ預言者は、そのような自分自身に対して洞察の目を向けない、といわれました。
つまりにせ預言者は、自分のことを棚に上げて隣人に向かってまことしやかに神の正しき道を語るけれども、自分のことを振り返ることをしない、ということです。
にせ預言者は、イエスさまではなく、この世のこと、すなわち、権力や影響力や金銭や名誉、といったものを求めています。
権力や影響力や金銭や名誉といったものを、自分は求めてしまってはいないだろうか、と内省しなければなりません。
にせ預言者にならないために、人のことはさておき、自分自身はどうであろうか、とただ主の前に内省する者でありたいと思います。
(祈り)
神さま、罪人である私を赦して下さい。