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教会にはどれだけの場所が必要なのか

〔神の愛と教会の務め〕

2014年11月16日(日)

教会という場所は、自分自身のためにあるのではなく、常に自分自身を越えたもののために、はるかに広い射程を持って存在しているのである。それはまさに、教会が、この世の中で自分自身の存続のために戦わなければならないような宗教団体ではなく、イエス・キリストによるこの世のあらゆる現実の根拠づけについて証しが得られる場所だからである。
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教会は、イエス・キリストについての証しと、イエス・キリストによって神とこの世とが和解されたことの証しを持って、この世に奉仕するために必要な場所以上のものを要求すべきではないのである。教会は、自分自身のためにではなく、この世の救いのために戦うことによってのみ、自分自身の場所を確保することができるのである。そうでなければ、自分自身の利益のために戦う「宗教団体」となり、神とこの世の教会であることを止めてしまうであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、564f。

教会の規模や集まる人々の数の違いがあっても、一様に教会の存在意義は、イエスさまの愛を宣べ伝えるところにあります。それを忘れたならば、いくら大きな組織であっても、もはや教会としての意味はありません。逆にどんなに小さくても、イエスさまの愛を証ししているならば、それは教会としての存在の意味があります。

教会のこの目的のために、どのような場所が必要であるのか。

(祈り)
神さま、あなたの愛を証しするために必要なすべてをあなたが備えていてくださることを感謝します。


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