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この世に対する誤った愛と正しい愛

〔神の愛と教会の務め〕

2014年11月13日(木)

この世が神によって受け入れられるということは、神の憐れみの奇跡なのである。したがって、教会のこの世に対する関係は、神のこの世に対する関係によって完全に規定されている。

自分を「神の敵」としてしまうようなこの世への愛というものも存在する(ヤコブ4:4)。なぜなら、そのような愛は、この世の本質それ自身に由来するものであって、この世への神の愛に由来するものではない・・・この世「それ自身」は、世がみずからを理解する通りのものであり、イエス・キリストにおいてこの世に向けられた神の愛の現実に抵抗するもの・・・神の愛を否定するものなのである。
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しかしまさに、この世に、「神との和解」について語り、この世が何も分からないまま反抗しようとしている「神の愛の現実」をはっきりと示すということが、教会の使命と本質である。この教会の働きゆえに、失われ、裁かれたこの世も、また絶えず、このキリストの和解の出来事の中へと引き入れられるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、560f。

この世が、それ自体愛すべき本質を持っているので、この世を愛するのではありません。ただ神さまがその憐れみの奇跡によって愛されたので、その愛の現実を示すのが、教会の使命です。

ですから、この世は罪の世であることを示しつつ、神さまからの和解のメッセージを語ることが、教会の働きの中心です。

(祈り)
神さま、罪人である私を愛してくださったことを感謝します。その愛をこの世に向かって語ることができるように助けてください。


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