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神と並ぶものは何もない

〔私はあなたの主なる神である〕

2014年11月3日(月)

<私は、決して神への信仰を捨てようとは思わないが、この信仰と並んで、この世、国家、仕事、家族、科学、芸術、自然も、それなりの権利を持っている>と語るキリスト者がいる。これに対して神は、<いかなるものも、神と並ぶ何の権利も持っていない。ただ神のもとでのみ権利を持つのだ>と語るであろう。われわれが神と並べて置くものは偶像にほかならないのである。
・・・
われわれが、今なお、偶像を持っているとすれば、それは恐らく「虚無」、あるいは「死」、あるいはまた「無意味」という偶像であろう。

さて、第一の戒めは、われわれをまさに唯一のまことの神へと招く。無への転落から救い、神の共同体の中で保持しようとする全能者、義なる方、憐れみ深い方へとわれわれを招くのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、544ff。

偶像というと、異教の神々や、さまざまな神を模した像のことを思い浮かべます。しかし偶像とは、この世、国家、仕事、家族、科学、芸術、自然、そして、金、快楽、名誉、他者、自分自身であり、さらには虚無、死、無意味、であるとボンヘッファーは語ります。

神さまに並べて、神さまのようにしてしまうものはすべて偶像なのです。
唯一まことの神さまを拝むことは、むなしさからの解放なのです。

(祈り)
神さま、唯一まことの神さまであるあなたを拝させてください。そうして虚無への転落から救ってください。


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