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われわれは律法にではなく神に服従すべきである

〔私はあなたの主なる神である〕

2014年11月1日(土)

「神」は、人間の生そのものについて、あるいは人間の生の成功や失敗については何も語らない。むしろ神は、自分自身について語る。十戒に最初の言葉は、「わたし」(出エジプト20:2)である。人間はこの「わたし」と関係があるのであって、何らかの一般的な法則と関係があるのではないのである。
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われわれは、十戒において「律法」に服従するのではなく、「神」に服従するのである。
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神の戒めを軽視することは、愚かだというだけではなく、罪なのであって、罪に対する報いは死以外にありえないのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、541f。

聖書を学び、聖書に従うことによって、私たちは神さまに従います。
神さまのみこころに従います。そこに真実な人生があります。
真実な人生が開かれていくので、聖書に従おうとするのではなく、神さまに従います。
つまり、神さまとの人格的な交わりが一番大切なことなのです。
それを抜きにして、聖書に従っても意味がありませんし、そのような従い方は、結局聖書に従っていることにならないのです。

神さまとの人格的な交わりの中に生き始めることが信仰生活の始まりです。
日々、神さまは共にいて、聖書の言葉を通して、私たちに語りかけ、私たちを導いてくださいます。私たちは、良い羊飼いである神さまに導かれる羊のように、憩いと平安をいただきます。

(祈り)
神さま、日々ともにいて導いてくださることを感謝します。


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