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責任ある言葉

〔互いに仕え合いなさい〕

2014年10月28日(火)

聞くという奉仕、積極的な援助という奉仕、重荷を負うという奉仕が真実になされるところでは、最後の、しかも最高の奉仕である「神の言葉による奉仕」がなされるようになる。
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「聞くという奉仕」、「積極的な援助という奉仕」、「重荷を負うという奉仕」が、実際になされるところでは、人はまさに多くを語らずにすむであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、533f。

この三つの奉仕のなされない所で、いくら神さまの言葉を語ったとしても、実を結ぶ奉仕にはならないということです。そうボンヘッファーは語ります。
この三つの奉仕のなされない所では、饒舌と、逆に無口にならざるを得ません。

しかしこの三つの奉仕のなされる所では、多くの言葉はいらないのです。

(祈り)
神さま、真実に神さまの言葉を語らせてください。


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