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われわれの歩みが日々停止させられる

〔互いに仕え合いなさい〕

2014年10月26日(日)

キリスト者の交わりにおいて、一人の人が他の人に対してしなければならない第二の奉仕は、積極的に援助を与えるということである。ここではまず、小さな、具体的なことがらにおいて、理屈抜きに人を助けるということが考えられなければならない。交わりによって営まれる生活の中では、いかなる時にも、助けを必要とする小さなことがたくさんあるのである。

そのような小さな奉仕をすることは、誰もあまり好まない。小さな具体的な援助を与えることによって失う時間的な損失を気にする人は、たいてい自分ひとりの仕事を過度に重要視しているのである。われわれは、神によってわれわれの仕事を中断させられる用意がなければならない。神は、要望や願いを持った人々をわれわれのもとに日々遣わすことによって、常に、くりかえし、われわれの歩みを停止させようとし、われわれの計画を妨げようとしているのである。
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奉仕を行なうことのできる所では、手を貸すことを惜しまないこと、また、時間をわれわれ自身の管理下におかないで、神によって用いてもらうということが、謙虚ということを学ぶためにも、大切なことである。

「手」が日々さまざまな助けを人に与えることによって愛と憐れみのわざを行なうところでだけ、「口」は神の愛と憐れみの言葉を喜びと確信をもって宣べ伝えることができるであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、530f。

忙しい、という言葉を、自分を守るための言いわけとして用いていないか、と自分に問いかけます。
時間を自分の管理下に置かない、ということ。神さまは私の歩みをストップさせ、私の計画を妨げようといろいろな人を送ってくださっているのです。
そうして、神さまの御手の中で生きる道を教えてくださいます。

(祈り)
神さま、あなたの手の中にあることを感謝します。どうかそのことを喜ぶことができるように信仰を与えてください。


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