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幼な子と大人

〔愛はいつまでも絶えることがない〕

2014年10月22日(水)

第1コリント13章8~12節。

愛のない知識というものは、子供じみたもので、この世に対してひそかに主人となろうとする子供のような試みのことである。
・・・
「しかし、大人になった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった」。―われわれは、よく、これとは逆のことを考えているのではないであろうか。すなわち、<幼な子らしくあることこそ愛をもつということなのであって、大人であることは、愛のない冷静な判断をすることである>と考えているのではないか。しかしパウロは、<愛こそが、成熟した洞察であり、愛の知識であり、大人の事柄である>と言う。愛の道は、大人らしい行動の道なのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、524f。

大人になるということは、愛の人になるということです。
愛の人になるということは、イエスさまを主として生きるということです。

この世の知恵は、大人になるということは、自分の足でしっかりと立つということであり、神さまなどいらなくなる、ということをどこか指さしています。
しかし聖書の真理は、そのような知恵は、子どもの知恵である、といいます。

今はまだ完全に神さまを見ることができませんが、やがての時には、顔と顔とを合わせて神さまを見るようになります。やがての時がいつであるのかはわかりません。
しかしその時を望みながら、私たちは大人になっていきます。
すなわち、神さまなくしては生きていくことができないのが人間であり、自分自身であるということを学んでいきます。

そうして一つ一つのことを神さまの御手の中にゆだねて行きます。ゆだねていくことによって大人になっていきます。

何もかも自分の思いどおりにしなければ気がすまない、というのはまだ子どもなのです。

(祈り)
神さま、信仰の大人にならせてください。


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