〔平和についての証言〕
2014年10月10日(金)
「その支配は強大なものとなり、その平和には終わりがない。」(イザヤ書9:7)」
ひとりの「みどりご」(イザヤ9:6)の支配は、強大なものとなるであろう。
・・・
われわれがイエスの支配を認めようとしないところでは、それゆえ人間の我意や、反抗心や、憎しみや、欲望が破壊されずに生きのびているところでは、平和は存立することができない。なぜなら、イエスは、権力によって平和の国を打ち建てようとしているのではなく、人間が心からイエスに服従するところで、人間がすすんでみずからをイエスの支配のもとに置こうとするところで、その人間に驚くべき平和を贈ろうとしているのだからである。
・・・ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、502f。
「みどりご」とは、イエスさまのことです。イエスさまは、赤ちゃんとして、この世に来てくださいました。赤ちゃんは、弱く小さな存在です。おおよそ権力といったことからは、対極にある存在です。
権力。すなわち、反抗心、憎しみ、欲望が生きのびているところには、平和はやって来ません。
このみどりごであるイエスさまに、みずからすすんで、心から従おうとするところに平和が到来します。
(祈り)
神さま、みどりごであるイエスさまを私の心の王座に迎えさせてください。