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イエス・キリストの「名」が広い空間を造る

〔私たちに逆らわない者は、私たちの味方である〕

2014年10月5日(日)

キリストは、自分の側につく者とそうでない者との間の境界線を、弟子たちが願ったり弟子たちが定めようとしたりするより、さらに広く定めようとしている。
・・・
イエス・キリストの「名」が呼ばれるところでは、この「名」そのものが、人間を守り、人間を導くことになるであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、492f。

結婚式をキリスト教で挙げるカップルが多くなっているそうです。
キリスト者でないカップルが、神さまの前で結婚の誓約を交わします。
私も頼まれて、何回かそういう結婚式の司式を行なわせていただきました。

キリスト教会の中には、そのようなことを否定的に考えるグループがあります。
キリスト者でない者、すなわち神さまを知らない者が、神さまの前で誓約を交わすなどということはけしからん、ということでしょうか。
あるいは、自分たちの都合に合わせて神さまを利用するなどということは、おかしいということでしょうか。

しかしイエスさまはそういうことについてどのようにいわれるのでしょうか。
私たちキリスト者は、どこまで行ってもイエスさまのおこころを第一にしなければなりません。
イエスさまは、「やめさせることはない」といわれるのです。イエスさまの名前を利用して力あるわざを行なった、そのすぐ後では、イエスさまをそりることはできない、といわれたのです。つまりたとえ神さまを知らず、イエスさまのお名前の力を十分には理解していなかったとしても、イエスさまのお名前そのものに大きな力があり、その恵みにあずかったならば、イエスさまをそしることを許さない空間が造られるのだ、とボンヘッファーは語ります。

そうすると、そんなんはけしからん、という人は、逆にこのイエスさまのお名前の力の大きさを信じていないことになります。

イエスさまの広く大きいお心を大切にしたいと思います。
いたるところでイエスさまのお名前による結婚式、あるいは冠婚葬祭、その他、いろいろなことが行われることを祈りたいと思います。

(祈り)
神さま、あなたの広く大きなお心を学ばせてください。あなた以上に宗教的になってしまう人間の罪をゆるしてください。


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