,

生のただ中で神を信じる

〔私たちに逆らわない者は、私たちの味方である〕

2014年10月4日(土)

神は、僕たちの可能性の限界に立って初めて認識されるものではなく、僕たちの生のまっただ中で認識されなければならない。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、491f。

大きな罪を犯して、その罪の深さ、重たさ、罪から来る後悔、自己嫌悪によって、自分の力で生きることができなくなり、その限界の中で、神さまにお出会いするということがあります。それはすばらしいことです。
しかしそれが信仰の道筋であるならば、みんな大きな罪を犯さない限り神さまにお出会いすることができないことになってしまいます。

神さまは本来そのようなことを願っておられるわけではありません。

私たちが日常生活の中で、何気ない喜び、健康が与えられていること、生かされていること、そういったことごとの中で、神さまにお出会いすることを、神さまは何よりも願っておられるのです。

信仰には、日常性が大切です。

(祈り)
神さま、生かされていることを感謝します。この世にあって、日々生かされていることを喜び楽しむことができるように、信仰を与えてください。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: