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われわれは何と忘れやすい者なのであろうか

〔赦しについて〕

2014年9月30日(火)

われわれはかつて、あの悪いしもべと同じように、神に許された。それなのに、われわれは何と忘れやすい者なのであろうか。われわれもまた、このしもべと同じように、すぐに次のように考えるのである。<さあ、出かけて行ってわれわれに小さな不正を働いた奴を、われわれをだましたり中傷した奴をつかまえて、「おまえの犯した罪をつぐなえ」と言おう>と考えるのである。しかし、われわれはむしろ、<あなたが私たちにしたことは、本当はたいしたことではない。私が神に対してしたことに比べたら、全く小さなことにすぎない>と言うべきではないであろうか。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、483ff。

神さまにゆるしていただいた私の罪の大きさを忘れてしまいます。
忘れてしまって、愛すべき隣人の罪をゆるすことができないのです。
忘れないようにしましょう、自分の罪を。どんなに大きな罪を神さまがゆるして下さったかを。
そのために、主の十字架を仰ぐことを欠かしてはいけません。
日々の祈りの中で、書斎の中で、野で、主の十字架を仰ぎ見ます。

(祈り)
神さま、あなたの十字架をいつも仰ぎ見させてください。あなたがゆるして下さった、そのゆるしの大きさを覚えさせてください。


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