〔赦しについて〕
2014年9月29日(月)
許すことはいかに困難なことであるかということを知らない人はいない。
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イエスのもとに行くことにしよう。
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イエスは、助けてくださる。だがそれはまことに不思議な仕方によってである。「七度までとは言わない。ペテロよ。七の七〇倍までもゆるしなさい」とイエスは言う。なぜなら、これこそが彼の助けとなるということをイエスはよく知っているからである。<ペテロよ。数えてはならない・・・
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自分が何度相手を許したかを数えている間は、あなたは繰り返し、相手の犯した罪を数えているのであって、実際には、まだ一度も相手を許していないのである。
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数えることをやめ、自由になりなさい。許しには、数も終りもないのだ。許すということで、あなた自身の正しさが損なわれるのではないかという心配は無用である。なぜなら、あなたの正しさは、神のところに保管されているのだから。だから、無限に許しなさい。許しには始めもなく、終りもない。許しは、日ごとになされ、絶えることがないのである。なぜなら許しは、神から来るものだからである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、481ff。
ゆるすことを数えているあいだは ゆるしていない、ということでしょう。
ゆるしは自分のうちからではなく、神さまから来るのです。
(祈り)
神さま、自分の正しさがあなたのところにあることを教えてください。